うちのわんこ
三重の繁殖場からレスキューされたマルチーズの『のあ』。 レティ、めーぷる親子との日常を綴った気ままな日記です。
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プロフィール
Author:kei
大阪在住
☆レティ♀
1994年12月14日生まれ。
めーぷるのママ
☆めーぷる♀
1997年4月15日生まれ。
レティの娘
☆のあ♀
年齢不詳。9月18日生まれ。
(三重の繁殖場からワンライフさんにレスキューされ我が家に来た日を誕生日にしました)
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レティのはなし(4)
今回は、4回の手術を乗り越えたレティのおはなし。
我が家にきた当日、パルボを発症し2週間の闘病生活を経験したパピー期
2回の出産という大役をこなし、大きな病気もせず健康に過ごしてきたアダルト期
7歳を越し、シニア期に入ると、レティはヒート後に時々乳腺炎をおこしていました。
その度、病院で抗生剤の処方を受けていました。

また、レティは腫瘤ができやすい体質なのか、8歳頃より背の皮膚に
時々水腫ができるようになりました。
初めの頃は、できても自然に治ったりしていましたが、
だんだん治りにくく、大きくなってきてしまい獣医に手術を勧められました。
ミティの死後、かかりつけの病院を移りましたが、
手術や麻酔に対してかなりの恐怖心が残っており、決断できずにいると、
「このように大きくなると神経に触れ、かなり痛みがあると思います。
もし僕の犬ならば迷わず手術を受けます。
ご心配な気持ちはよく分かりますが、うちは今まで麻酔による事故は1度もありません。」
獣医のこの言葉を信じ、レティの手術をお願いしました。
手術は日帰りで、午前中に預け、夜間診療時にお迎えの予定。
お迎えまで6時間以上、母ちゃんは心配で病院近の近くに車を止め
携帯を握り締めて待ちました。
腫瘤の摘出手術は無事に終わり、元気なレティに再会した途端、
全身の力が抜けました。
背部分の皮膚、4×2cm程切開し縫合。
腫瘤は病理検査の結果、良性。
切開部は体幹に平行なので、今でも少し目立ちます。

レティが10歳の時には、悪性腫瘍による『両側乳腺摘出』の手術を受けました。
健康診断の際に、粟粒大の乳腺腫瘍(疑)を指摘され
「粟粒大と小さく、1つだけなのでスポットで取りますから、今回も日帰りで帰れますよ」
早期発見できたのは不幸中の幸いと自分に言い聞かせ
手術の予約をしました。
獣医からは乳腺腫瘍は進行が遅く、ゆっくりだと訊いていたのに
レティの場合は、手術予定日を待つ僅か数日間の間に、
粟粒大だった腫瘍が米粒大になり、左右の乳腺に5〜6個に増えてしまいました。
慌てて受診すると、獣医の表情は険しくなり
「前回説明した手術法は変更し、両側の乳腺を摘出します。
両側の乳腺摘出をする場合、本来は2回に分けて行うのですが、
レティの負担を考えて1回で行います。同時に、子宮と卵巣も摘出しておいた方がよいでしょう」と。
母ちゃん、もう心臓が口から飛び出すんじゃないかという位の動悸。
やはり、家へは帰れず手術が終るまで車の中で連絡を待ちました。
無事に手術が終ったと連絡が来ると、安堵のあまり涙が出ますね。
麻酔から覚めたレティは、手術の侵襲が大きくかなり辛そうでした。
獣医より、リンパ節に転移が見つかり、手術は長時間にも及んだが
腫瘍は全て切除できたことなど
手術の経過内容の説明を受けました。
そして摘出した乳腺及び腫瘍を見せてもらいましたが、
こんなにも広範囲な切除をしなければいけないほどの大手術
代われるものなら代わってあげたい気持ちでした。
手術創部は左右の胸骨下から陰部までY字に切開し、両側の乳腺を全て摘出、
その後、両脇の皮膚をよせて縫合しています。

3週間後の抜糸が終って束の間、下腹部の創部跡に水泡ができそこから出血。
『縫合糸によるアレルギー』(まれにあるそうで)の為、
再手術により、中の縫合糸を抜糸。 レティ3度目の手術です。
悪性腫瘍(癌)になってしまう原因は色々ありますが、
レティの場合、ストレスや食事が原因にあったのではと考えています。
ストレスについては、乳腺腫瘍の診断を受ける数ヶ月前、
母ちゃんの父が、胃癌であることが分かり手術を受ける為入院し
検査を受けていましたが、その最中に大量の吐血。
父の癌は『スキルス』で医師も驚く程の進行の速さ。
最期の親孝行に、入院先の九州の病院へ泊り込んで看病していましたが、
癌と診断されてから僅か1ヶ月で亡くなりました。
九州へ母ちゃんが行っている間、レティとめーぷるは父ちゃんに面倒を見てもらっていましたが、
だんだん食欲がなくなって、ついには大好きなおやつさえも口にしなくなったとSOS

父の葬儀の為、2わんを連れて駆けつけた父ちゃん尻目に、
母ちゃんの顔を見るなり、2わんはごはんをぺロッと平らげてましたが、
この離れていた1ヶ月が、随分ストレスになっていたようです。
その他に食事。
それまでは、ペットショップなどで買えるドックフードをあげていました。
有名メーカーならば問題ないだろうと。
レティが、癌になった原因に食事も関係あるのではないかと考え、
大きなペットショップに相談に行き、店長に1番お勧めのフードを尋ねました。
その店長は、母ちゃんの話を真剣に聴いてくれ、
「この店の店長をしていて言うのも何ですが…
残念ながらうちには、100%安全であるお勧めのフードはありません」と言い、
フードについて「畜肉には「4D]と呼ばれる粗悪な肉、つまり「食品不適格品」があり、
4Dとは、「死んだ動物の肉(Dead)」「死にかけた動物の肉(Dying)」
「病気の動物の肉(Diseased)」「障害のある動物の肉(Disabled)」を意味すること、
畜肉副産物(動物の内臓や血液、足、鶏の羽、くちばし、
粗悪なドッグフードでは動物の排泄物、癌などの腫瘍肉などが含まれる)
鶏肉はほぼ例外なく人間用としては不合格になったものであること、
大豆ミール(大豆から油脂分や有性成分を絞り取ったほぼ完全な残りカス
で、犬の体内でいろいろな病気を引き起こす)
とうもろこし粉、米粉、小麦粉(人間が食べられない古くてカビが生えている可能性が極めて高い)
動物性脂肪(動物性脂肪は植物性脂肪に比べてはるかに酸化、
劣化しやしすく、これらの対策として保存料と酸化防止剤が多用されている)
エトキシキン(枯葉剤、ダイオキシン系の最強の発がん性物質)
脂肪の酸化防止剤として家畜飼料に広く使われていること、
同様にBHA・BHT(動物実験においていろいろな病気との関連が指摘されている)
以上のことを丁寧に説明してくれました。
家に帰って、ネットで調べてみると…
あるサイトで、犬の訓練師が『5年以上与えていると癌になるフード』
と載せていた品名の中に母ちゃんが使っていたフードが

母ちゃん、無知でした。 無知過ぎました。
「これはいかんっ!!」
それからフードについて色々勉強し、手作りにも挑戦していましたが
蛋白質を30%に、カルシウム対リンが1:1から2:1の比率で
とか結構大変だったので、ずぼらな母ちゃんは僅か2ヶ月で断念。
それからは、フードについて教えてくれた店長が愛犬に食べさせているという
『ビックウッド』を使い始めました。
(コレ、ヒトは食べてはいけませんの表示がないのです。
たまにポリポリと味見したりしてます。おいしくないけどね
)その後は、心配している癌の再発も(現在は)ありませんが、
去年10月、またレティの頸部付近に腫瘤が。
獣医の、「血管を引き込んでいる(悪性の可能性が疑われる)から
切除したほうがいい」との判断で、4度目の手術。
術中、口腔内にも小さな腫瘍がみつかり同時に摘出。
横に3cm程切開。今回は毛で隠れて分かりにくい位置。

病理の結果、良性の腫瘍と分かり命拾いしました。
「手術ばっかり、もうかんべんしてよね!」
「ほんまや!レティママが可哀想やんか」
「母ちゃん、おわびにおやつちょうだいや〜!」
毎日、腫瘤ができていないか隈なくチェックするのが習慣になってしまった母ちゃんですが、
わん達は今日も平和に過ごしています

のあさんは、いつものごとく母ちゃんから離れません。


最近はいつもレティの背中に顎をのせておやすみしています



レティさん、まだまだ長生きしてくれよっ
by母ちゃん
レティのはなし(3)
今回は予定通り、3わんのお母さんになったレティのお話。
汚れキャラのめーぷるですっ

あたしは、3兄弟(♀2♂1)で生まれてきてん。

茶々丸の死後、獣医から
「先天性心臓疾患は遺伝的な事もあり、ミティかレティに
原因があったのかも分からないので、今後交配はさせない方がよい」
とのアドバイスを受けました。
それなのに…
母ちゃんの管理ミスにより、次のヒートでレティが再び妊娠してしまいました。
母体にとってもかなりの負担

それに、もし獣医の言うように遺伝性の心臓病だったのならば
次に生まれてくる子も…。
その時、今でも通っている美容院のトリマーさんに相談しました。
「遺伝性の心臓病という確定はしてないでしょ?
次に生まれてくる子は心臓病じゃないかもしれない。
それに、もし心臓病を持って生まれてきたとしても、
今度は手術をしないで最後まで面倒をみてあげたらいいやん」
…それもそうだな。
トリマーさんの言葉で、ちょっと気持ちが楽になりました。
それからは、より一層レティの体長管理に気を付け、
妊娠後期を迎えました。
レントゲンを撮れる時期になり、診てもらうと
「3匹いますね」
「
」 獣医の言葉に絶句(レティは華奢な骨格で、この頃普段の体重も1.9kg〜2kg。
まさか3匹とは、夢にも思わなかった)
出産予定日間近、再度レントゲンを撮ると、胎児は産道を通過できる
ギリギリの大きさ。
これ以上成長すると普通分娩は無理だと言われました。
1〜2日中にお産にならなければ、帝王切開です。
父ちゃんと母ちゃんの願いが通じたのか、診察の翌日にお産となりました。

2匹目までは順調に生まれ、3匹目(めーぷる)の生まれる気配は
全くありません。
出産開始から4時間経過しても生まれないので、
「獣医が頭数見間違えたん違う?」なんて呑気に父ちゃんと話していました。
健康状態の確認に病院へ行く用意をして、ヒョイと育児ベッドを覗くと
キョトンとしているレティの横に
いつのまにか仔犬が3わんに増えてる

しかもまだ羊膜を被ったままだぁ

急いで羊膜を破り、レティの顔に仔犬を近付け、
羊水を吸い出してもらいましたが、仔犬はピクリとも動きません。
焦りながらタオルで仔犬の身体を刺激し、タオルに包んだまま
上下に数回振りました。
か細い声で鳴き、やっと肺呼吸が始まりました


生まれると直ぐに獣医に診察してもらい、健康状態を確認。
よく頑張ったレティも沢山褒めてもらい、異常がないか診察。
「大丈夫。異常なしです」
獣医の言葉に、心底「ほっ」としました。
仔犬は、1番目に生まれた子(♀)にメル、2番目(♂)に茶々、
そして末っ子(♀)はめーぷると名付けました。
その後も1週間ごとに病院に通い、健康状態のチェック。
心配していた心臓疾患もなく、3わんスクスク育ちました。




茶々丸の時と違い、3わんの育児はレティも大忙しです。
授乳が終ると、すぐお下の世話。

仔犬の成長と共に、レティのお乳も足りなくなり、
毎日体重を測って、増えの悪い時は母ちゃんも育児のお手伝い。

ミティパパは羨ましそうに見てるだけ〜。

しばらくして、仔犬達の誕生を話していた友人から、
家族に迎えたいと申し入れがありました。
その頃、母ちゃんは以前勤めていた仕事を退職していましたが、
又、ひと月後に復帰する事が決まっており、
5わんの世話は今までに比べ、手薄になってしまいます。
又、お留守番ばかりで、寂しい思いをさせるよりも、
常に家族がいる方が幸せではないかと思い、決心しました。


生後55日目、茶々とメルが新しい家族のもとに行きました。
茶々の新しい家族は、以前通っていた美容室の
母ちゃん担当の美容師のJさんです。
Jさんは、ご両親と3姉妹の5人家族。
1年前にご両親が溺愛していたわんこを老衰で亡くされており、
もうあんな悲しい思いはしたくないと、初めは反対していたそうですが、
何度も家族会議をし、了解してもらったそうです。
約束の日、5わんを連れてJさん家に着くと、家族全員でお出迎え。
大阪北郊外の広いお庭のあるお家で、これまた広〜いリビングの中央には
で〜んと真新しいわんこ用品が設置してありました。
お母様がニコニコしながら、「お父さんが昨日デパートで買ってきたの。
うきうきしながら出かけてたわよ。
私もわんちゃん用の、お手製のクッションを作って楽しみに待ってたのよ〜」と話しておられました。
本当は、Jさん宅にめーぷるが行く予定だったのですが、
お父様の「うちは女系家族だから、男の子がいい」と。
まるで初孫を抱く様に、嬉しそうに茶々を抱っこされていました。

メルは、「家を建てたら、わんこを迎えるのが夢だった」とおっしゃっていたお父さん、
美人で優しいお母さんと、その当時中学生だった男の子2人の4人家族に迎えられました。
こちらは茶々とは逆に、お父さんの「うちは子供が男の子だから、末っ子は女の子がいい」と。
メルを抱くお父さんの顔は、デレデレになっちゃってました。

そして残ったのがめーぷるです。

こ〜んなに望まれて迎えられた茶々とメル。
幸せになっていない筈がありません。
メルのご家族から、成長したメルの写真が届きました。

我が家にも遊びに来てくれました。
写っているのは、メルのお父さんとお母さん。

レティママや妹のめーぷるの事はすっかり忘れてしまったようで
お父さんとお母さんにベッタリでした。

その後も近況報告をしてくれていて、メルはとっても幸せに暮らしています。
茶々は、ご両親に溺愛され、殿のように大事にされ過ぎて
かなりのやんちゃ坊主に育ったようですが、
美容室に行く度に、Jさんは嬉しそうに茶々の写真を見せてくれていました。
その後、Jさんは結婚し遠くへ行ってしまいましたが、
ご両親のたっての願いで、茶々はJさんの実家で幸せに暮らしています。
こんなに大事にされ、幸せに暮らしているレティの子供達。
2つの家族に沢山の幸せをもたらせてくれていることでしょう。
父ちゃんと母ちゃんは、後悔はしていません。
最後に…
今回は、Happy endで終りたかったのですが、
虹の橋を渡ってしまったミティについて少し話します。

3わんが誕生し、無事に大きくなり、
父ちゃんと母ちゃんは、ミティに去勢手術をする事に決めました。
ミティはお出かけがとっても好きな子で、手術日の朝も
玄関に用意していたお出掛けバッグの中に自ら入って
母ちゃんの支度が終るのをずっと待っていました。
病院へ向かう車の中でも、とっても嬉しそうにはしゃいでいたミティ。
これが最期になるなんて…。
病院へは午前中に着き、検査後、午後に手術とのこと。
日帰り手術なので、夕方にお迎えです。
ミティの大好きなおやつを売っているお店に寄り、一度家に戻りました。
家に着くと、病院から留守電にメッセージが。
「すぐに連絡下さい」
まさか…。
全身がガタガタ震え、やっとの思いで病院へ電話すると
「すぐに来て下さい」
「何かあったんのですか?」と問うも、
「とにかくすぐに来て下さい」と。
病院へ着くと、ミティは手術台の上に横たわり、
獣医は目を真っ赤にしながらアンビューバッグを押し、
肺に酸素を送っていました。
ミティに近付くと、瞳孔が散大していてピクリとも動きません。
人間でいえば、脳死状態でしょうか。
「どうして?」と詰問する母ちゃんに
「分かりません、分からないんです。どうしてこうなってしまったのか」
涙をポロポロ流しながら獣医は答えました。
変わり果てたミティを抱きしめ、母ちゃんが泣き崩れると同時に
ミティの心臓が動かなくなりました。
それから1週間後、獣医から手紙が届きました。
丁寧なお詫びと共に、『僕はミティがとても好きだったのに…』
と書かれていました。
父ちゃんと母ちゃんは獣医を恨んでなんかいません。
勿論、ミティを亡くしてしまった事は今でも辛く
思い出すと胸が苦しくなります。
でも、パルボに感染したレティを時間外や休診日にも、
毎日一生懸命診てくれ、インターフェロンの治療により回復した時は、
「ヤッタ〜!!」とガッツポーズで自分の事のように喜び、
パルボに感染した他のわんこも助かるようにと、レティの症例を
獣医学会に発表していた獣医。
茶々丸の時も親身になって力を貸してくれた獣医。
そんな獣医を恨む事はできません。
ミティの死後、思い出すのが辛く現在この病院へは行っていませんでしたが、
近いうちに、今も元気でいるレティの顔を見せに行こうと思っています。
レティのはなし(2)
ボクの名前は『茶々丸(ちゃちゃまる)』
レティママとミティパパの間に生まれたんだよ。
ボクが生まれるのをみんな楽しみに待っていたんだって。
ボクは父ちゃんや母ちゃん、レティママとミティパパに可愛がられて
とっても幸せだったんだ。

なのに…
とっても残念だけど、ボクはもうこの世にはいないんだ
なぜって?
それは、母ちゃんから話してもらうね
『茶々丸(ちゃちゃまる)』が生まれたのは1996年10月
茶々丸は一人っ子でした。
レティママは、とても母性の強い子で、一生懸命子育てをしていました。
当事はわんこ達と一緒に寝ていたのですが
レティママは、私達と一緒の布団で寝たいという一心で、
よく育児用ベッドから仔犬の頭を咥え、私達の布団に連れてきて
ヒヤヒヤさせさせられたものです。
茶々丸のこめかみの毛がはげちゃってるでしょ


(仔犬が成長し、頭を咥えられないようになってからは諦めたようですけど)



茶々丸はすくすく成長し、ヨチヨチ歩きの頃には
教えてもいないのに自分でシ−トの上で排泄することも覚えました。
手のかからない、とっても良い子で、父ちゃん、母ちゃん、
そして親子の3わんで、楽しい日々がずっと続くと思っていたのに…


幸せな日々から突然奈落の底に落とされたのは、茶々丸生後3ヶ月の時。
2回目の予防接種の為、聴診器で診察していた獣医の顔が曇りました。
「前回の診察の時から気になってたんだけど…
心音に雑音が聴こえます。たぶん先天性心臓疾患だと思います」
獣医は更に話しを続ける…
「このまま放っておいたら、長くはないでしょう」
「はっ!?」
母ちゃんは、獣医の話が理解できない。
茶々丸は今、こんなに元気なのに信じられない。
獣医は「治すには手術が必要ですが、僕は心臓の手術はできません。
ご希望であれば紹介しますが、手術費はかなりかかると思います」
「お願いします」
そう答えるのが精一杯でした。
ごちゃごちゃになっている頭の中を整理しながら
「先生、何でうちの子ばっかりこんな目に遭うのでしょう?」
そう獣医に尋ねる私の目からは涙が溢れて止まりませんでした。
獣医は「あなただったら助けてくれる… そう思って
レティも茶々丸もあなたのところに来たのだと思いますよ」
獣医のその言葉に少し救われた気持ちになりました。

翌日、獣医から紹介してもらった府大の旧家畜病院へ行きました。
そこで沢山の検査を受けた結果、やはり先天性心臓疾患の診断。
(その当時)府大では、成犬の大型犬しか臨床経験がないらしく
小型犬で、しかも生後3ヶ月の心臓手術は初めてとのこと。
かかりつけの獣医に再度相談した結果、
わんこの心臓外科にかけては西日本で3本の指に入ると言われている
名古屋にある病院を紹介してもらいました。


翌々日、新幹線で名古屋に向かいました。
「必ず治る」と信じて。
チアノーゼが現れると危ないということで
午前中に病院へ着くとすぐ検査が始まり、午後には手術です。
茶々丸の病名は『動脈管開存症』
<動脈管は、胎生期に存在し、胎児循環を成立させるのに不可欠な血管です。
正常な仔犬では、自分で呼吸し始めると同時に短時間でこの動脈管は閉鎖します。
しかしながら、この動脈管が生後 2 〜 3 日を経過しても閉鎖せずに、
血液の流れる異常血管として残存してしまうことがあります。
この心臓病を、動脈管開存症:PDA と呼びます。
治療を行わなければ1才までに50〜70%が死亡すると言われています。>


名古屋の獣医は「この手術は、何度も経験しています。大丈夫。安心して待っていて下さい」と言って手術室へ消えていきました。
30〜40分経った頃、手術室に入るように言われました。
悪い予感にドキドキしながら入ると、茶々丸が手術台にのせられ、胸を開かれていました。
手術着の獣医から「今から(動脈管を)結紮します。血圧モニターをよく見ていて下さい」と言われ
瞬きをするのも惜しんで見ていると、結紮と同時に血圧が急降下。
「通常、動脈管を結紮して終る手術なのですが、(血圧が下降する)
原因が分かりません。
このまま結紮すると死んでしまうので、(結紮せず)このまま手術を終ります。
お力になれず、申し訳ありません。」
涙がポタポタ落ちてきて、そう言って頭を下げる獣医の姿が滲む。
涙で掠れる声で、恐る恐る訊きました。
「余命はあとどれくらいですか?」と。
「今回の手術で心臓がかなりのダメージを受けたので…そうですね
1ヶ月もつかどうか…」
その後の事はよく覚えていません。
ようやく家に辿り着くと、たった今、息を引き取ったと病院から連絡が入った事を聞かされました。

もしも皆さんのお家のわんこが病気で、助かるには手術が必要だと言われたら
どうしますか?
1.助かる見込みがあるならリスクを承知で手術を受けさせる。
2.リスクがあるなら、あえて手術を受けず残りの犬生を悔いのないものにする。
私は、1番を選びました。その結果、茶々丸に苦痛を与え、更には死期をも縮めることになりました。

翌日、冷たくなってしまった茶々丸を迎えに行くと、獣医から解剖の申し入れがありました。
「どうしても原因を突き止めたい。助けられなかった事が悔しい」と。
「将来、この子と同じ症例があった時には助けることが出来るかもしれない、お願いします」
その言葉を聞いて解剖を承諾しました。
後日、かかりつけの獣医から獣医学会で発表された茶々丸の症例が載っている
文献を見せてもらいました。
文献には解剖された茶々丸の心臓の写真と共に
心室中隔欠損
動脈管開存
異常血管(体肺側副血行)
3つの先天性心臓病であった事が記されていました。
茶々丸は、手術を選んだ母ちゃんを恨んでいるだろうか…。
母ちゃんは今でも悔やんでいるよ。
茶々丸 生後3ヶ月 1997年1月23日に永眠しました。
写真は、茶々丸が虹の橋を渡る1週間前のものです。
これが茶々丸の最後の写真になりました。

長い長い話を読んでくれた皆様、ありがとうございます。
次回は、3わんのお母ちゃんになったレティのお話をします。
(めーぷるは3兄弟だったんですよ)


おチビちゃん達、そっくりで区別がつかないでしょ

母ちゃんは、前頭部に入っていた薄い茶色の模様で見分けていました

レティのはなし(1)
今回は、いつもおとなしく、ちょいと影の薄いレティのお話。
レティは1994年年生まれ。今年13歳になります。
人間でいえば68歳位


レティは1995年2月、生後55日目に我が家に来ました。
写真は、我が家に来た当日のものです。
ペットショップで出会ったレティは、真っ白ふあふあ

ちょっと目が離れていて「ヒラメちゃん」って父ちゃんから呼ばれていたっけ


当事、我が家にはレティが来る数週間前から
同じペットショップから来た、マルの『ミティ』♂が居ました。
(『ミティ』は、後に生まれためーぷるの父犬です)
その『ミティ』のお嫁ちゃんとして迎えたのがレティです。
写真は、我が家に来た当日のミティ。(生後45日目)
ペットショップにいた他の子に比べ、デカカッタから
てっきり売れ残りだと思っていたよ

(後で届いた血統書の誕生日見て、生後45日だったと知りビックリした)
毛がモサモサで、おまけにお耳がミルクティ色

それで名前を『ミティ』と名付けました。

ミティは、お嫁ちゃんのレティを凄く気に入ったようで
いつもレティの傍を離れません

レティに嫌がられても怒られても引っ付きまわっていました

写真は2歳頃のミティ。
3kgのちょっと大きなマルでしたが、甘えん坊でやんちゃな
とても可愛い男の子でした。
(この1年後、ミティは麻酔の事故により3歳で虹の橋を渡りました。)

話を戻しますが…
レティは家に来て数時間後に突然具合が悪くなりました。
初めは環境が変わって疲れたのかなと思ったのですが、
下痢、嘔吐が続き、明らかに様子がおかしい。
病院に駆け込み、検査をすると『パルボウィルス感染症』の診断。
当事の父ちゃん、母ちゃんにとって初めて聴く病名。
しかも「助かる見込みはない」と突然の死の宣告。
母ちゃん、頭の中が真っ白になりました。
獣医の「返しておいで(家に来て数時間後に発病して)気の毒や。」の言葉に
我に返り、「レティは、もううちの子なので返しません、
先生、助けて下さい」と哀願しました。
獣医は少し時間をおき、「先日、獣医学会で発表された
インターフェロンを使用して回復した症例があった。試してみますか?」と。
(13年前は、まだ『パルボウィルス感染症』に対し、
インターフェロンを使った治療はポピュラーではなかった!?)
感染力が強い『パルボウィルス』
それから、すぐにミティを父ちゃんの実家に預け、
2回/日の時間外通院による注射・点滴、(伝染病につき入院不可でした)
父ちゃんと交代で24時間の看護により、2週間の危篤状態から
(一時は白血球数が600まで落ち、肺炎を併発した)
奇跡的に回復したレティ。当事僅か600gの体重。
本当に良く頑張ってくれました。
今でも、父ちゃんと母ちゃんは、生きていてくれるだけで感謝しています。
写真は、レティが来た当日にミティ(生後2ヶ月)と撮ったもの。
誕生日が2週間違うだけなのに、大きさが全然違いますね

(この写真を撮った数時間後に、パルボを発症するとは夢にもおもわなかった
)
次回は、お母ちゃんになったレティのお話をします


茶々丸、生後1ヶ月



